時計探訪記 〜ロサンゼルス編〜

2025.04.17 Journal by Wolf and Wolff

“小ぶりなアート”の人気が牽引しているのか、例えただの道具やガラクタであってもヒストリーやプロポーションが美しければそれは自分だけの価値あるオブジェとしてファッション感覚でコレクションする人が増えているここアメリカ。完全にピークアウト感のあるラグジュアリーコンテンツからの反動もあるのか、確かにこれからはこういうややシュールな趣味もまた楽しそうですね。

ここロサンゼルスに小さなギャラリーと雑貨屋の中間みたいなお店を一人で切り盛りする超スタイリッシュなお爺さん。僕はこのお店のファンで、去年からL.Aに行くたびに小さな何かを買って、壊れないようにぐるぐるに梱包して京島まで持って帰っている。この日気になったのは写真の赤漆のトレイ。1970’sの、日本製である。こういう、絶対に日本で探せそうなものでも、彼は「ヴィンテージfenderカラー」って説明するんですね。確かに日本の赤ではなくて、確かにJohn Frucianteの朱色のストラトキャスターに見えてくる(写真はオレンジに色が転んでいますが)。僕はこういうことこそがセンスの実態だと思っていて、そしてこういうことがまたマーケットに帰還しないといけないタイミングだと思っている。今回も勉強させていただきました、とレジに置いたけれど伝えられた値段に怯んでやめた。値段までギターにすることないのに。代わりにドイツ製(自称)の小さな栓抜きを買った。

さて、今日この後は、ヴィンテージウォッチ専門店Wanna buy a watchのオーナーであり、ヴィンテージウォッチ業界の重要人物の一人であるKen Jacobs氏と会う約束が。先月いきなりインスタグラムでKenさんから「キャリバー645のムーヴメント持ってない?」って聞かれて(持っているわけがない)、そこからの流れでコレクションしているバブルバック用のブレスレットを売ってもらう約束をしていたんです。

こちらがKenさん。1980年代初頭からずっとこの場所で時計を売り続けている、業界では伝説の人。1990年代には数え切れない程のバブルバックをセレクトしていたそうで、その時のパーツをまだ大切に保管していると。今日はそれを買い上げに来たわけであります。箱に詰められたブレスレットの数々。ほぼ全てが1930-1950年代のバブルバック用のもの。ありえない。はっきり言って宝の山です。

オリジナルのブレスレットが装着されたバブルバックというのは今や非常に珍しいことでして、それが付く付かないでは個体評価も全然違ってくるのと、あとは何より迫力が違いますよね。革ベルトとブレス付きとでは全く別のキャラクターというか。華奢故に壊れやすいのがこの頃のブレスの宿命でして、バックルがリプレイスされていたりそういうものもありましたが、いくつかまとめて譲ってもらえることに。もうそれだけで今回の出張は大成功と言えるでしょう。

ショップの隅っこで僕とKenさんのオタクな取り引きが行われている一方、売り場の方ではヴィンテージロレックスが近所の主婦達に普通に売れてゆくというカルチャーショックな光景が。どれだけセンスが良いのでしょうか、というか、今まで一体何を見てきたらそうなれるのでしょうか。

記念写真を撮ろう、と言って奥からカメラ型の何かを持ってきて、眼鏡の奥の目を擦りながら「あれ、あれ、動かない。あ、これ水筒だった!」と言ってシャッターボタンを開けて水を飲むジェスチャーをしてその場の皆を和ませる愉快な爺さんですが、腕にはちゃんと特殊ダイヤルのゴールドのデイデイトが。
そして一つなるほどなと思ったのが、2000年頃まではバブルバックのダイヤルリフィニッシュが当たり前に行われていたわけですが、その書き換え職人の中で当時有名だった人がいるらしく、その職人が手掛けたものは今でも変わらず評価しているという話。僕はその時代を知らないから「リダンはリダンでしょう」と片付けてしまいますが、当時を知る、というか第一人者の彼からすると、今とは全く異なる1990年代ならではの「ヴィンテージロレックスの美の基準」があったのでしょうね。

発売中のステンレスのバブルバックに譲ってもらったブレスレットを合わせて。ということで販売価格が変更になりました、。

Journal by Wolf and Wolff
instagram Threads